今週からは中山などに開催替りとなり、若駒がクラシック路線に乗れるかの新たな展開などに、大いに期待を寄せていたが、悲しい訃報が競馬関係者に伝わった。
美浦所属の後藤浩輝騎手(1974年3月生れ、40歳)が、27日茨城県阿見町の自宅で自殺したという衝撃が走った。
若かりし駆け出し騎手のときは、イマイチ目立たずの戦績が長く続いたが、師匠からフリーに転身を機に「アメリカで修行して来い」と気合いを入れられ、頭を丸刈りして、本場の激しい騎乗馬の獲得競い合い、そして乗れたときは競馬の激しい競い合いなどを実践、(半年も遠征、2度)大変苦労した精か、日本に戻って、そのハングリー精神の成果を発揮して、積極果敢な接近戦の騎乗に大変身、急激に騎乗技術が向上、年間100勝を量産する注目のスラッガーに登り詰め、現在の地位を築いたのは、周知の通りです。
そして騎手本業より「オドケ」たキャラクターで、笑わせファンを魅了、競馬を10倍も面白くする方法で、競馬ファンの多くを楽しませる役者として確立、武豊騎手がガンガン勝ち上がる人気とはー味違う、異色のJRA功労者でした。
近走は、接近戦などが仇になったのか、前の馬が少し蛇行しても避けられず、バランスを失い、落馬事故に度重なる遭遇の日々、2012年NHKマイルCで落馬し頸椎骨折、1年余りのリハビリから復帰したのが、2014年4月にも落馬し再び頸椎損傷、一時は騎手引退も考えたと語ったが、2014年11月にようやく復帰を飾って、大きな声で「ただいま~」と第一声をファンの前で叫んで感涙していたのですが、体調に不安視されていた。
そして不死鳥のように順調に復帰戦を過ごして来た矢先、先週「ダイヤモンドS」で、4角回って直線の入り口で、前馬が外斜行したため、避けようとした際、前の馬に触れて、乗っている馬が躓き転倒し騎手落馬、3度目の頸椎を痛めて、大いに心配をしていたが、気丈にも元気に歩いて検量室に向かったので安堵した。
日曜には何事もなかったように、京都遠征し8戦し、2勝を挙げ、その存在感を猛アピールしていた矢先の、突然の訃報なので、大いに戸惑いしている。
何があったのか、想い募らせた重大な事は、何なのかは本人以外は計り知れないが、私の推測になりますが、見た目では元気に振る舞うも、前日まで栃木で診療とリハビリを続けていたが、怪我の回復度が思いのほか重く、この苦痛に日々耐えられず、「自分の身体が、瞬時に思うように動けず、考えていたような競馬が出来ない」と痛感して、責任感が強いため、これがとても苦痛で、咄嗟的に現状を悲観したのではないかと・・。
まだ小さい子供がいて、成長を楽しみにしていたでしょうに、そして今年こそと、悲願のダービー制覇の夢も、道半ばで自ら閉じてしまっては、残念でならないのですが、深く哀悼の辞として「ご冥福をお祈りいたします」・・・後の事は後輩JKに任せて、ゆっくりお休みして下さい。
▼ 後藤浩輝騎手の戦績
1992年免許以来、JRA12,949騎乗、1,447勝(勝率11.2%)、そのほか地方競馬(57勝)、重賞53勝(内GⅠ勝利5勝:オークス(写真最下)、安田記念2回、JCダ、朝日杯FS)
近走重賞勝利VTR
*2014年4月12日(GⅢ)ニュージーランドT「ショウナンアチーヴ(1番人気)」外から差し勝利
「久々今期初重賞勝利の後藤浩輝騎手」:昨年頸椎負傷で1年休養後の重賞勝利
(スタートはどうでしたか?)いつもの通り、速い馬ではないので、慌てず前半は、他の馬達が速いレースを作ってくれたので良いなーと思いました。勝ちたいという気持ちで、前回は失敗しているので、僕の中では「(もう一人の)リトル後藤」に聞いたら「未だ早い」と言っていたのでそれを信じました。前の北村宏JKが完璧に乗って呉れたので、ちょうど良い目標に成って呉れたので、相手はこの馬だなと思って追いました。
(次走は)安心は出来ないが良い形、期待を持って大きい所に向かえられるのは良かった。
*2011年5月22日(GⅠ)オークス「エリンコート(7番人気)」先行抜け出し押し切り金星
断然人気のマルセリーナ(安藤勝)、ホエールキャプチャ(池添謙)などを撃破して感涙勝利
「オークス(クラシック)初勝利の後藤浩騎手」:無欲の快勝・・エッ勝っちゃったョ!
(優勝は)信じられない。チョット急激に天気が悪くなったしスタンドの照明が強くて、それどころでなく、内に刺さって修正しながらでした。
(勝利は)感無量です。この仔は素晴らしい、これからゆっくり(GⅠ勝利を)噛みしめることにする。