*日本時間(9/8)午前5時20分、アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されているIOC総会で、2020年のオリンピック開催都市が「東京」に決定された。
1964年以来の56年ぶり2回目の夏開催になる。(72札幌、98長野の冬開催を含めると4回目になり、日本は恵まれ過ぎの感がある)
開催都市決定投票の第一回目で混乱が発生、全体投票の結果をありのまま発表すれば良いところ、または2位同数票と先に告げるところ、「同票数都市がマドリード、イスタンブール」とだけ発表されたため、ここで「東京の名がなく」、皆が「東京3位で落選か?」と勘違い、日本が落胆する事態、これを中国特派員が大喜びしハヤトチリの「誤報」を世界中に手際よく、見事なタイミングで配信してしまう中国の大失態も、サラリと訂正記事してナニ事も無かったように・・でした。
後で直ぐ分かった真相は「東京42票、マドリード26、イスタンブール26」で過半数の都市はなく決戦投票に、この決選前に、2位同票都市での再投票に移行、ここでイスタンブールが46票(マドリード43票、残り不明)の接戦で残った。
決戦投票の結果は、東京が60票、イスタンブール36票(欠席1)とし、前回落選し落胆から、念願の東京開催が決定した。(写真:ロゲIOC会長がTOKYOと発言し「TOKYO2020」のカードを淡々と掲げる感動の瞬間)
冷静なIOC委員の投票なら、開催の能力・治安・機能・資金力・都市の魅力を総合的に単純に比較するなら、直ぐに開催準備が進捗せず国民と揉めている「ロシアのソチや南米リオ」は頼りなく、施設整備が懸念されている現状も問題視され、東京の開催能力の確実性は特別で断然優勢なのですが、いろいろな思惑が入り混じる違った世界ですから、そしてやはり原発汚染水処理の具体的な方策に最後まで質疑されるなど緊迫感、ヨーロッパでのIOC委員が多数占めている点などが懸念材料、投票行動の読みが難しい局面でも、東京を選んでくれ、期待を懸けて呉れた委員のお蔭なのです。そして招致活動に携わった多くの皆さんお疲れ様、そしてご苦労様でした。
あと残りの議題は、26競技から除外されたレスリング、そして前回から外された野球・ソフトボール、ヨーロッパで人気の新規スカッシュを含めた3競技の中から、どの競技が26番目競技になるか、9/9早朝にIOC委員の投票が行われる。
→9日早朝、除外対象とされた「レスリング」が(組織改編、分かり易いルール改正などが評価され)26番目の競技として存続決定された。
*回想:我が無我夢中で走り込んだ青春の日々
64年10月10日の東京オリンピックでは、東京のドブ川の上に首都高速道路、そして東京ー大阪間の新幹線開通など慌ただしく都市改造の建設ラッシュがようやく間に合って一段落し、前日まで大雨が続くも、一転晴天に恵まれての開会式、ホスト国日本が、最後から行進する選手団、鮮やかな赤のブレザーを身に纏い晴れ舞台の入場行進する姿に感動、ブルーインパルス(自衛隊の曲芸飛行隊)は青空に描いた巨大な五輪の飛行雲、日本中を駆け回った聖火が一つに成って聖火台(川口キューポラで制作鋳造)に点灯、最初の競技「重量挙げ」で三宅選手が金メダル獲得し日本中が街中が大いに沸いて盛り上がり凄まじい勢いがありました。
更に大松監督の回転レシーブが話題の東洋の魔女「女子バレー」の金、八田レスリング会長の激で8個獲得と豪語した宣言も5個の金メダル獲得など、日本選手の大活躍、当時私は20歳、国立市にいたので府中(甲州街道)のマラソン折り返し点まで自転車で走り込み、応援に行きました。そこには裸足で走るエチオピアの「アベベ選手」が、先頭集団で折り返して行った記憶は、未だ鮮明です。再び東京でオリンピックが真近で見れるとは嬉しい限り、我が方も足腰を鍛えて置かないと観戦もできない展開になる。
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