7月28日に頚部手術を受け、翌29日に起立不能の状態に、30日早朝にレントゲン検査診断で、頸椎に骨折が判明、その病状の回復見込みが困難から、安楽死処置になった。
突然の出来事で、誠に痛恨の極みですが、謹んでお知らせいたします」と発表した。
期待一身を受け、初海外遠征先が、悲願の凱旋門賞(06年)制覇に挑戦、直線で早めに抜け出し制覇達成か・・でしたが、GOAL寸前で失速の3着無念に加えて、禁止薬物の陽性反応から失格(風邪薬の治療痕跡で陽性反応)、帰国後のジャパンC、暮れの有馬記念を連勝して7冠達成、引退した。総収得賞金14億5455万円、種牡馬転身でも数多くのG1馬を輩出(G1馬38頭(延べ51勝)、重賞204勝など)していた。
主戦騎手を務めた武豊騎手は「体調が良くないと聞いて心配していたが残念です。私の人生で本当に特別な馬でした。彼には唯々感謝しかありません」とコメントしている。
そしてJRAは、7/30に死去した偉大貢献度を称え、ディープインパクトの追悼番組を創設、今週の3・4日の新潟・小倉・札幌の3競馬場の「メインレース全て6鞍」を「ディープインパクト追悼競走」の副題を付して実施すると発表(8/1)した。
名手岡部幸雄騎手(通算勝利2943勝、G1勝利37勝の偉業)が晩年、体調壊して長期休養し、奇跡の復帰を果たすも、万全ではなく、体力の限界と騎乗依頼を待つ関係者に責任を感じて、急に引退決意したときも、JRAは、急遽05.3.20(日曜)中山最終12Rの特別OP戦を「岡部幸雄騎手引退記念競走(*注)」と改編して、偉大な業績を称えた事案があった以来、14年振りの今回の処置になるが、日曜に中山遠征予定がない騎手は、これも急遽、強引に中山「土曜競馬」に乗替り懇願して参戦するなど、関西騎手(特に関西騎手代表で松永幹夫騎手)が、岡部騎手に、直接「長年の偉大な功績と引退慰労」に、ワザワザ美浦増沢厩舎の馬に乗せて貰って、挨拶に来たのですから、とても大変な出来事でした。
(写真2:ラストランで06有馬記念快勝、写真3下:東京優駿制覇で歓喜ガッツポーズでスタンド凱旋のDインパクト雄姿と武豊騎手)
*ディープインパクト全戦績:国内13戦12勝(G1戦7勝)、海外1戦0勝
*父:サンデーサイレンス
*母:ウインドインハーヘア(母父:Alzao)
栗東:池江泰郎厩舎、馬主:金子真人HD、生産地:北海道早来町
・2006/12/24 中山 G1有馬記念 芝2500 1着(武豊):ラストラン余裕の快勝で7冠、錦を飾る
・2006/11/26 東京 G1ジャパンC 芝2400 1着(武豊):帰国後に復活走飾る
*2006/10/01 仏国 G1凱旋門賞 芝2400 3着失格(武豊):現地で風邪引き治療が裏目に
・2006/06/25 京都 G1宝塚記念 芝2200 1着(武豊):4角先頭
・2006/04/30 京都 G1天皇賞春 芝3200 1着(武豊):4角先頭
・2006/03/19 阪神 G2阪神大賞典 芝3000 1着(武豊)*直線一気の有馬敗戦から4角先頭に脚質変更
・2005/12/25 中山 G1有馬記念 芝2500 2着(武豊):1着馬Hクライ(先行抜け出し)
・2005/10/23 京都 G1菊花賞 芝3000 1着(武豊):3冠達成!
・2005/09/25 阪神 G2神戸新聞杯芝2000 1着(武豊)後方待機直線一気追込
・2005/05/29 東京 G1東京優駿 芝2400 1着(武豊)後方待機直線一気追込
・2005/04/17 中山 G1皐月賞 芝2000 1着(武豊)後方待機直線一気追込
・2005/03/06 中山 G2弥生賞 芝2000 1着(武豊)
・2005/01/22 京都 OP若駒S 芝2000 1着(武豊)
・2004/12/19 阪神 2歳新馬 芝2000 1着(武豊)
*注:岡部幸雄騎手引退記念競走(回想記)
05.3.20 中山第12R(4歳以上OP 芝1600m 16頭立て:1着賞金2442万円) 結果
1着 アルビレオ(蛯名正、白井(栗東)) タイム1:33.6
2着 フジサイレンス (五十嵐、田子(美浦))着差 クビ
3着 ダイワバンデット(松永幹、増沢(美浦))着差 クビ
9着 マイネルモルゲン(武豊、堀井(美浦))
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